1980年代、シリコン・バレーのベンチャー・キャピタルが爆発的に急増した最中でさえ、新しい先端技術企業の90パーセント以上が個人の貯蓄や担保をもとに創業しました。
富が個人のものでなくその自由にならない時には、何物も生み出さなくなるものです。
経済の回復は企業家の復活にかかっています。
しかし企業家の復活は、経済政策の究極的な仲裁者、大きな影響力を持つエコノミストがその理論のなかで企業家の役割を復活させるまでは完全なものとはならないし、また復活しても永続しないものです。
資本家のいない資本主義という矛盾するビジョンは、物理的な資本形成の重要性やその他の経済活動の計量的尺度を徹底的に過大に評価。
企業家の創造性の決定的なそして支配的な重要性を徹底的に過小評価するという、経済についての考え方似基礎的な誤りからも生じているのです。
・・・この誤りはアダム・スミスをはじめとするすぐれた資本主義経済学者の何人かに影響を与えました。
分業の範囲は、つまり経済の発展を推し進める創造と専門化の過程は「市場の範囲によって決まる」とアダム・スミスは述べました。
しかし、これはまったく彼の思い違いです。
むしろ市場の範囲を決めるのは分業の範囲、つまり企業家の創造性の広がりです。
まず企業家による新しい財の提供があり、そしてそれが他人に自分の所有物をそれと交換しようという欲望を喚起するのです。
最初の財が創造され、交換に差出されるまで、市場というものは存在しないのです。